ピボットリタイアという考え方

表題の「ピボットリタイア」というのは全くこの世に存在しない、今私が生み出した造語だし意味も通らない言葉である。ピボットとは「転換点」という意味である。

そもそもリタイア、または隠居とはどういう状態を指すだろう。仕事から退き悠々自適に暮らすこと。これが一般的な解釈だろうか。仕事から退き、というのは生活の糧のために労働をしない、ということだろう。一方で悠々自適という言葉の意味はなんだろうか。ウェブの辞書によると

「俗事に煩わされることなく自分の好きなように安らかに暮らすことなどを意味する表現」

とある。

リタイアとはようするに

①金を稼ぐために積極的に労働をしない(しなくても良い資産状況)

②好きな事を毎日する

状態である。

リタイア者は基本的に金と寿命が許す限り好きなことをする状態を目指す。年齢や体力を理由にリタイアした場合を除くとして。

文字面を見て、そんなの当たり前だろう。と思う方が多いと思う。しかし現実的に「永遠に好きなことをする」を理解していない場合が多い。 例えば私のように30代でリタイアすれば、加齢により健康を害したとしてもおおよそ40年以上「好きなこと」をするわけだし、50代でリタイアしたとしても20年以上「好きなこと」をするわけである。

旅行や手習い、テレビやその他のエンタテイメントでも多くの時間を費やす事ができる。40年が一度に訪れるわけではない。それでも長期的な「好きなこと」が必要になってくる。

そうなってくるとリタイア者は有り余る時間を使って大きなプロジェクトを立ち上げ、実行するようになるのが一般的だ。ライフワーク、という言葉をこの活動に当てる場合も多い。

ここで表題に戻ってくるわけだ。結局のところ寿命の早い段階で隠居してしまえばしてしまうほど、デカイプロジェクトを立ち上げる事になる。例えば「趣味の喫茶店」「質を追求した田舎のパン屋」「プロ顔負けの菜園と狩猟生活」「海外移住」「社会福祉活動」などである。

結局のところ嫌な仕事をして賃金を得ているわけでは無いが、何かしらの活動を精力的に行う状態に戻るわけだ。これはもはやリタイア者なのか怪しい。ただの一時的な休息と転換点ではないか。これが「ピボットリタイア」と私が名付けた理由である。

リタイアがピボット化する確率はそれまでの活動と資産の出処に完全に比例する。Microsoftを興したビル・ゲイツ氏は社会福祉団体で超精力的に活動しているし、政治家で総理大臣を努めた小泉純一郎氏も引退とは程遠い活動量である。一方で社則により定年退職した人、遺産相続により資産を形成した場合、新規の活動やプロジェクトに対する積極性が低い。

これは良し悪しの話ではなく、単純な傾向の話だ。むしろ自力で資産を形成した人、早期にリタイアし、残り時間が長い人により強く伝えたい。「あなたのリタイアは、きっとピボットになる」 結局のところ、早期リタイアとは「金のためじゃなく好きなものに人生を捧げるための準備期間」に集約されるのだろう。そんな意味を込めてピボットリタイア、という造語を今回は引き合いに出した。

その本質に目を向けると、リタイアするほどの資産や覚悟が無くてもその状態を人生で準備する事はそれほど難しくないことに気づく。 社会人になって1つ目の仕事ですでに「金のためじゃなく好きなものに人生を捧げている」状態の人は多くいるし、社会に出て違和感に気づき素早く人生を転換した人もいるだろう。 ほかにも社会人経験を生かして独立した人にもそういう人はゴロゴロいる。

よって「なんとか早期リタイアしたい!」とリスクを取った行動を行おうとしている人は、その本質を一度考えてみてほしい。本当にそこまで資産を形成しなければ、その状態を得ることができないか。 また、人生の次のロジェクトが見つかっていないなら、そちらから真剣に考えてみる事をおすすめする。

逆に何も考えずリタイアした後にこのような考えに至る事はごく自然だとも言っておこう。

ここから余談だが、定年世代である60代。さらに50代の一部。その中でもそれほど出世し無かった人に多いようなのだが、彼・彼女らの中に人生の新たなプロジェクトを必要としない人が結構な割合いる。多数派かもしれない。私の世代にはちょっと信じられないが、60代以降はテレビを見ているだけで満足した人生を消化するという特殊能力が備わっている人が実際に多数おり、20年以上を多少のアクティビティとテレビで乗り切るつもりの人が結構いる。彼らにとっては老後感とはそのようなもので、今の60代が過去の世代とは比べ物にならないくらい心身共に若いことも、医療発展により寿命が伸びたこともその老後感に反映されていない。

私にはにわかに信じられなかったのだが、親族を始め身近な60代やその周囲、さらにいくつかの老後関連書籍をあたると、そのような行動を取っている60代が多い事に気づき、信じざるを得なかった。

これをもったいないと感じるのは私の勝手な感覚であるが、さらに寿命が伸びる現役世代や、さらに若い世代にはこの老後感が通用しないのは同意していただけるだろう。人生が多様化した今、老後も自分で選ばなければいけない世代なのである。

2018年〜2019年で読んだおすすめの本

ビジネスマン時代から比較すれば、読書にあてれる時間は明らかに増えている。けれども実際の読書時間というものはそれと同等、もしかしたら少ないかもしれない。 リタイアすると専門領域やビジネスに関する探究の必要性が薄れてくるからだと思う。

その分、世界の出来事や物語、専門外の分野に興味を持つことが多くなった。狭く深くから広く浅くに。

今回は、直近1〜2年で私が読んだ本の中で面白かったものをざっと紹介していこうと思う。新刊や話題の本は少なくて、kindle偏重なのであしからず。

熔ける 大王製紙前会長 井川意高の懺悔録

熔ける 大王製紙前会長 井川意高の懺悔録 増補完全版 (幻冬舎文庫)

熔ける 大王製紙前会長 井川意高の懺悔録 増補完全版 (幻冬舎文庫)

「エリエール」ブランドで知られる大王製紙の跡取りがギャンブルで堕ちていく様を記録した本である。金持ちといえばギャンブルである。ビジネスとギャンブルの高揚感、これははほぼ同じだと私は結論づけている。その流れで依存や嗜癖に興味があって手にとった本だったが、なかなかの当たりだった。

本作では氏が次第にギャンブルに狂い、嘘を重ねていく。これも見どころたっぷりだがそれと同時に、億の金をやりとりするVIP客だけに開かれた、カジノにおけるの仕組みも垣間見る事ができる。これも楽しかった。

この本の後、大王製紙は、井川一族が持ち株を吐き出し競合に買収される形で井川一族の手を離れることになる。氏は本作において、そういった現実を曖昧にし、反省を見せつつも自身の正当性を時折主張するなど、かなり人間味のある懺悔を行っている。勧善懲悪的なものを期待するとガッカリするだろうが、私はこのほうが好きだ。読中または読後にネットで大王製紙事件を漁ってみると氏の自己弁護部分が浮き上がってきて、物語が厚みを増すのでそんな読み方がおすすめ。

生涯投資家

生涯投資家 (文春e-book)

生涯投資家 (文春e-book)

かの村上ファンドの村上世彰氏が描き下ろした、ライブドアVSフジテレビの裏側、自身の投資哲学を交えつつ半生を伝える本。

前出の「熔ける」に続いて世間からは悪人扱いされた人自身による、意見表明、反論、自己弁護というか、とにかくそういった類の本である。

この本が面白いのは、今までメディアで自ら語ることの少なかった村上氏自身の哲学が、メディアのおもちゃにされるのではなく、一本筋の通ったものとして語られている点である。氏の「日本へのコーポレートガバナンスの浸透」という目標への取り組みは、神の意思に対する光の戦士のように描かれている。一方でメディアからこぼれ聞く氏に対する意見は、それとは程遠く、金の亡者か冷血な悪魔の手先とされる事が多い。この本の外での氏への評価とのコントラストが強烈な印象を残す。この評価は「狂信者」によくあるパターンであるが、個人的にそれとは違った感覚を覚える。

Amazonのレビューでは高評価が多い。そのレビュー内容の大半が、本の内容というよりは、氏に対する再評価であることも面白い。

「コーポレートガバナンス」「ハゲタカファンド」「物言う株主」

この3つの言葉から起こされる行動が常に同じなのにも関わらず、ストーリー1つでこれだけ聴衆の評価を改めさせる。氏はやはり傑物だと思う。

CRISPR(クリスパー) 究極の遺伝子編集技術の発見

CRISPR(クリスパー) 究極の遺伝子編集技術の発見 (文春e-book)

CRISPR(クリスパー) 究極の遺伝子編集技術の発見 (文春e-book)

  • 作者: ジェニファー・ダウドナ,サミュエル・スターンバーグ
  • 出版社/メーカー: 文藝春秋
  • 発売日: 2017/10/04
  • メディア: Kindle版
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医学の最先端をイメージしたときに、日本では山中教授のiPS細胞がまず頭に浮かぶ。しかし世界的に見れば、遺伝子編集CRISPR-Cas9のほうが大きく注目されているといっていいだろう。あの人間の細胞のなかに存在する螺旋状の設計図であるDNA。これを書き換えて病気を治す、もしくは予めリスクを取り除くという医学的アプローチ。クローン細胞や臓器培養よりさらにSF的な医療技術が現実のものになっていることがこの本で紹介されている。

この本の面白いところは、CRISPR-Cas9という新たな遺伝子編集技術を学びつつ、それを発見した中心人物であるジェニファー・ダウドナ博士とその研究室を中心に、まるで社会派ドラマのように物語が進行していく点にある。もちろんストーリー仕立てであるため、事実や真実からは多少それている部分があるのだろう。だがその読感はとても手触りが良いものになっている。

個人的にはトップの大学教授の仕事の実際がどんなものか垣間見える貴重な一冊になった。それは想像以上に科学ではなく、マネジメントだった。

人生は、運よりも実力よりも「勘違いさせる力」で決まっている

人生は、運よりも実力よりも「勘違いさせる力」で決まっている

人生は、運よりも実力よりも「勘違いさせる力」で決まっている

我らがふろむだ(@fromdusktildawn)氏の処女作である。ブログ氏黎明期から続くブログ「分裂勘違い劇場」から2周りほど単純化して読者の間口を広げた行動経済学の本であるが、あまり行動経済学うんぬんを考えずにこの本と接したほうが良いかもしれない。

この本の良いところは行動経済学の一部と著者自身の経験を切り取って「勘違いさせる力」という誰にでもわかりやすく腑に落ちる言葉で対人関係や社会をパッケージングしているところである。本の中身はそのパッケージを猿でもわかるように書かれた説明書そのものであって、表題以上のものは出てこない。その切り口のため学術的な裏付けも重要視されていない。いわば「出オチ」であるのでそこを理解せず本を買ってしまうと裏切られた気持ちになるかもしれない。

予想どおりに不合理  行動経済学が明かす「あなたがそれを選ぶわけ」

予想どおりに不合理  行動経済学が明かす「あなたがそれを選ぶわけ」

予想どおりに不合理  行動経済学が明かす「あなたがそれを選ぶわけ」

続けて行動経済学の本である。これも門外漢にも読みやすいという同じ特徴があるが、もう前出の一冊よりは少し裏付けされたものがあり、幅広い事例を扱っている。

「現金は盗まないが鉛筆なら平気で失敬する」「頼まれごとならがんばるが安い報酬ではやる気が失せる」「同じプラセボ薬でも高額なほうが効く」――。

こういった人間の脳の頼りなさ。目的とは裏腹に脳に抗えない選択をしてしまう人間の行動と心理をテーマに書いた本である。ちょっと行動経済学を流し読みしたい人におすすめ。

悪いヤツほど出世する

悪いヤツほど出世する

悪いヤツほど出世する

世の中に存在するリーダーは、なぜ例外もなくクソ野郎なのか。そんな疑問に答えを出してくれる一冊。

有名な、ピーターの法則「工場勤務の優秀な職工が昇進して管理職になると、これまで得た技術が新しい仕事に役立たず無能になる」というのがあるが、それをさらに補強するように「リーダーに求められる能力」と「リーダーになるために求められる能力」は別物であるどころか、真逆のものである場合が多い。こうしてリーダーの席はリーダーの資質満たさないもので埋め尽くされていく。

本書では多角的多方面にそんな事例を紹介してくれる。本書を読むことで、無能なリーダーへの溜飲を下げるもよし、リーダーを目指すために悪辣になるのも良いだろう。

リーダーシップ本を何冊か読む機会があれば1冊これを混ぜておくのを是非おすすめしたい。

自己暗示

自己暗示〈新装版〉

自己暗示〈新装版〉

  • 作者: C.H.ブルックス、E.クーエ,河野徹
  • 出版社/メーカー: 法政大学出版局
  • 発売日: 2010/01/14
  • メディア: 単行本
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一時期、私は脳科学やら意識、思考、脳内物質なんかにハマった時期があった。その中で見つけた1冊。

この本は、暗示(催眠)によって病気を治療しようという本である。それは気の落ち込み、ネガティブ思考など軽度なものから、うつ、さらには聴力の回復、慢性的な痛みの除去なども暗示によって解決してしまおうという本で、心理療法としては古典である。

暗示、催眠、思い込み、洗脳。言葉は色々あるが要するに、脳を自分(または誰か)の都合の良い方向にコントロールする方法論がこの本で語られる。実践的であると同時に実例が紹介されている。 個人的に、実例に関しては米国なんかの宗教番組でよく見られる神に救われたエピソードを一私人が語るものとどうしてもオーバーラップしてしまう。ようするに胡散臭さは本書全体から拭いきれない。

それを加味しても、やはり脳はある程度コントロールできるのだろう。精神疾患の治療には臨床として心理療法が用いられているし、前出の行動経済学本でも脳が自分の意識と同調していない事が明らかにされている。

脳や意識の不確かさを知る本としてとても面白かった。

LIFE SHIFT(ライフ・シフト)―100年時代の人生戦略

LIFE SHIFT(ライフ・シフト)―100年時代の人生戦略

LIFE SHIFT(ライフ・シフト)―100年時代の人生戦略

  • 作者: リンダ・グラットン,アンドリュー・スコット
  • 出版社/メーカー: 東洋経済新報社
  • 発売日: 2016/10/21
  • メディア: Kindle版
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戦国時代は50年、平成は80年、令和は100年。人類の寿命の伸びと、それが人生に及ぼす影響をテーマにした本である。

私は30代前半でリタイアしたので、70年とはいかないまでも60年以上の老後があるという計算になる。そんな境遇からいつにも増して興味深くこの本を読んだ。

人生がより長くなるため人生のステージが今とは激変すると著者は予言する。若者と呼ばれる期間は30代以降まで伸び、フリーランサーが今より顕著に増え、セカンド、サードキャリアがあたりまえになり、労働年齢は80歳、90歳まで伸びると訴える。

著者の未来予想図があたるかどうかはともかく、医療の進歩は人類の寿命を100歳まで引き伸ばす事はたしかで、老後資金や社会保障は現世代より確実に目減りもしくは後ろ倒しにされる。もちろん人生100年が全ての人類に訪れるわけではない。地獄の沙汰どころか地獄の前の沙汰も金次第なのだろう。

どちらにせよ人生80年で認識がストップしている人は、その先の現実的な可能性としてこの本を読むことをおすすめする。

Yコンビネーター

Yコンビネーター

Yコンビネーター

Yコンビネーターはベンチャーキャピタルだ。ベンチャーキャピタルは数千万円〜、一般的には数億円〜を成長企業に投資し、その成長から利益を得る。 一方でYコンビネーターは数百万円を名もない会社に投資する。名もないどころか事業の計画すらない3人の大学生グループに投資する。そんな特別なベンチャーキャピタルだ。これをシードベンチャーキャピタルと言ったりもする。

今では世界中、日本にもシードタイプのVCは存在するが、その先駆けVCがYコンピネーターであり、巨人のように成長したベンチャー企業を排出した名門となった。

そんなYコンビネーターの独自の育成プログラムに2011年、ルポライターが密着したのが本作である。Yコンビネーターの中期頃にあたる。

シリコンバレーやベンチャーキャピタルが身近に感じられる一冊。

ゼロ・トゥ・ワン 君はゼロから何を生み出せるか

ゼロ・トゥ・ワン 君はゼロから何を生み出せるか

ゼロ・トゥ・ワン 君はゼロから何を生み出せるか

続けて投資家の本。「ペイパル・マフィア」のドンことピーター・ティールの本である。

IT系の創業者の本はいくつも目を通してきたが、意識の境界線が群を抜いて広く、俯瞰的で、クリアであるのが氏の特徴である。

本の内容としては2012年に、氏がスタンフォード大学で「起業についての講義」を行った際のノートが元になっており、起業をするなら、今現在存在しないビジネスを立ち上げ(ゼロトゥワン)市場を独占せよ、というものである。ただ私としてはその使い古されたビジネスモデルより、端々に感じる氏の明晰さ、抜け目なさに驚きを覚えた。

きっとこの本を読んでもピーター・ティールの慧眼は身につかないだろうが、それでも楽しく読める1冊で、個人的にはもう何冊か氏の本を読んでみたいと思った。

フラッシュ・ボーイズ 10億分の1秒の男たち

フラッシュ・ボーイズ 10億分の1秒の男たち (文春文庫)

フラッシュ・ボーイズ 10億分の1秒の男たち (文春文庫)

株取引において、注文を10億分の1秒の差で先回りしていく超高速取引業者の物語。私はデイトレードはおろか個別株の取引も一切しない分散超長期投資なので、彼らと接する機会は最小限で済んでいる。たとえば10年20年保有するETFを買って、売る。2回だけ。ただ、それが少ないとはいえゼロでないだけに、こういった目に見えない巨獣を相手に格闘している個人トレーダーたちに思いを馳せた時に、背筋になんともいえない冷たい感覚を覚える

この本は2014年発刊であるが、物語はさらに前2008年リーマンショック前後の物語である。令和の時代において、この世界がさらに熾烈を極めているだろうことは容易に想像できる。

How Google Works

How Google Works

How Google Works

  • 作者: エリック・シュミット,ジョナサン・ローゼンバーグ,アラン・イーグル,ラリー・ペイジ
  • 出版社/メーカー: 日本経済新聞出版社
  • 発売日: 2014/10/17
  • メディア: Kindle版
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GoogleがGoogleとなってから、そのユニークな企業倫理や文化、採用ルールなどはウェブを通じてこぼれ聞いてきた。そんな伝説のGoogleの初期から中期に至るマネージメントを一冊の本にまとめた本である。

この本の面白さは、Googleのマネジメントが日本的では無いことから来ている。彼らの選択した手法はどれも日本の企業文化では選択しないものばかりだ。つまり日本人にとって常識的や感覚的ではない。そのかわり恐ろしく論理的である。

きっと今のスタートアップの起業家たちはこの本を下敷きにビジネスを始めるのだろうし、巨人となった当のGoogleはまた別のルールを用いてその巨躯を操っているのだろう。世界的にはこちらのほうがすでに常識なのだろうし、日本にしたって20年もすれば勢力が逆転しているかもしれない。

個人的に気に入っているポイントとしては、1つの大成功した企業の理念や文化や組織マネジメントが論理と手記をあわせて1つのパッケージになった本だということだ。これは実はとてもめずらしい。この手の本の多くは創業者の立志伝であったり、精神論であったり、ただの手記であったり、個別の話題を取り扱った本であったりする。

私は1年に1冊くらい「これは何度も繰り返し読み返すからKindleで買ったけど書籍としておいておこう」と思い立つ1冊がある。まとまっており、読みやすく、耐用年数が長そうだ。今年の本はこれであった。

日本の路地を旅する

日本の路地を旅する

日本の路地を旅する

私は貧乏な家に家に生まれたので、貧困関連の新書や、困窮邦人(海外で貧乏な日本人)、外国人労働者などを平均的日本人より比較的多く読んでいると思う。私の中での「普通の人」がこれに近いからだ。普通のサラリーマンの話がファンタジー的に感じてしまい、このような人々のことをリアルに感じてしまう部分がある。

この本は被差別部落の本である。「路地」とは被差別部落の隠語。昭和において貧困と被差別部落は多くの場所で重なり合い、その境界線も曖昧であることが多かった。平成になり、路地出身の著者が全国の路地を歩いてそれを1行また1行と文章にしていく温度感は、昔のその空気感を少し荒廃させたものと一致する。ほとんどの被差別部落は過去のものとなったが、抉り取られた肉の傷跡のように今なお残る部分はたしかに存在する。

被差別部落出身の著者だからこそかけた、記憶と今の路地を重ね合わせ、批判や理想の類を寄せ付けない、独特の空気感を醸し出すこの手記は、個人的に大変素晴らしいものだった。

コンテナ物語

コンテナ物語

コンテナ物語

日本でもよく目にするトラック。その後ろの箱が「コンテナ」である。このコンテナが生まれて世界の物流を牛耳る時代の流れをドラマチックに物語として1冊の本にまとめあげたのが本書である。

何故あの箱が生まれたのか。物流、海運そいういものにまったく興味がないと本書は面白く読めないかもしれない。ただ私のように全くの無知識であっても興味があれば非常に面白く読める。海運物語といえば百田尚樹氏の小説「海賊と呼ばれた男」がある。あれが楽しめた方ならもしかしたら楽しめるかもしれない。海賊と呼ばれた男の立志伝部分ではなく、海運ビジネス部分が面白く感じられたら、だが。

物語の見どころは、コンテナが生まれた前半より、中盤以降の世界をコンテナが席巻し、港の荷役労働者、既得権益との衝突や、港同士の誘致合戦、とめどなく巨大化するコンテナ船などのビジネスロマン部分だろう。

歴史小説の主人公が「箱」でも楽しめる人におすすめ。

一九八四年 (ハヤカワepi文庫)

一九八四年 (ハヤカワepi文庫)

今回小説は紹介するつもりが無かったが社会的な意味で例外的に紹介しておく。

本作はSFの古典である。といっても宇宙船や光線銃が出てくる話ではなく、社会主義と超監視社会に至った近未来を描いたディストピア小説である。トランプ氏が米大統領に就任したのを前後してこの古典がセールスを伸ばしている。SF小説として読めばそうであるし、社会風刺フィクションとして読めばそう読み取れる。奇妙に現代社会に符号する予言の書のような本である。

例えば中国、ロシアなどの社会主義独裁国家による、不穏分子への強烈な抑圧、支配、暴力は今も昔も変わることなく現実をなぞっており、フェイクニュースや、国家主導の事実の隠蔽、指標の改ざんなど民主国家ですらこの小説とリンクする部分が多い。

SF小説の宿命として時代の進歩と伴に、現実との乖離から作品は陳腐化していくものだ。1949年にSF小説として発表され、今は2020年が目前だ。しかし70年の時を経て陳腐化するどころか作品は、自国や超大国の動きとますますリンクしていく。

痛快というよりは陰鬱な作品であるが、この時代に是非とも読みたい一冊である。

※おすすめの本があったらTwitter(@giraffree)で紹介してください。 上記のとおり結構なんでも読みます、推理&サスペンス小説はあまり読みません。

リタイア期間が長くなると働きたくなりますか?

Twitterで表題の質問をいただいたのでたまには記事を書いてみる。

また働きたくならないか? 私の30代は働くよりリタイアしている時間のほうが長くなってしまったが、あまりそういう気にならない。 ただし、働きたくなる理由も理解できている。

資産的に安定しているのにリタイア者がまた働きたくなるのはどういう場面か。こんな生活も長くなったのでよりディティールが理解できるようになったので、網羅してみよう。

■「ただのおじさん」でいる事のしんどさ

リタイア後に社会に接すると「ふらふらしているおっさん」を扱い受ける。トヨタの第一営業部の山田さんだった頃はただそこに立っているだけで一定のリスペクトというか尊厳を与えられるけれども、リタイア者はそれが得られない。 唯一現役の山田さんと同等の扱いを受けられるのは、お客さんとなった瞬間のみ。現役の頃と同格のサービスや商品を購入したまさにその瞬間と、買うそぶりを見せた際のみ、あの頃の尊厳が返ってくる。

島田紳助氏のように引退後にも社会からその評価を理解されればかなり緩和されるが、どこぞの部長や社長、はたまた院長クラスだと「ただのおじさん」扱いされる。

■「なにものでもない人」でいることのしんどさ

ただのおじさんになると、物事の判断や価値観を再構築しないといけなくなる。営業部の山田であればライフスタイルや利用するサービスもある程度指針があるけど、ただのおじさんには新たな指針が必要になる。

選択・決断はほとんどの場合、その人の個性ではなく、立場によって下されている。身につけるもの、趣味、ライフスタイル、連絡手段や移動方法にいたるまで。

こういうものの再構築がめんどくさかったり、昔のライフスタイルが忘れられなければ社会復帰したくなるのもわかる。

また、アイデンティの大部分を喪失して、右往左往したあげくとりあえずどんな社会的な肩書でもいいから社会とつながって安心したい、という理由でアルバイトやボランティアを始める場合もある。

■権力(パワー)の喪失

権力が失われるとそれを渇望するのは理解できる。

勘違いされることが多いがお金は権力と大きく性質が異る。お金が権力と化すのは、前述のとおり「お金を使う瞬間と、お金を落とすと見込まれた場合」のみである。パワーとしては全然弱い。 権力は凄い。

部長の決済権や役員の人事権はその影響範囲に持っているだけで効果を発揮し続け、優位な立場に立てる。 社長や医者という肩書は、お金を使わなくても見込み顧客としてパワーを発揮し続け優位な条件でサービスや商品が購入できる。 また生きた人脈を持つものとして、関係者にパワーを発揮できる。 社会的な地位により相手が勝手に萎縮し、忖度される場合すらある。

権力はコストパフォーマンスがめちゃくちゃ良いのだ。なにせ実際にパワーを使わなくても常に効果を発揮しているわけだから。

リタイア者はこういったただそこにいられるだけで得られるパワーから遠のいてしまう。 リタイアしたままパワーを発揮するには、お金を使い続けなければいけない。これはとても効率が悪い。

■孤独と社会性の喪失

リタイアを目指す人、リタイアしている人は孤独に強いが、それでも孤独は彼らにささやき続ける。

脳科学には明るくないが、これは原始脳が常にアラートを発し続けているのだと思う。群れを離れ孤立していることは人間という生物にとって危険であると。 このアラートは現代になったからといってオフにすることはできない。自分の内面としっかり向き合っていないと、これは漠然とした不安となり、社会との接点を渇望し始める。

■資産と継続性に対する不安

蓄財に対する欲求も引き続き脳から発しされ続ける。財産の大小によりこのアラートも大きかったり小さかったりするのだろうが、これが止むことは基本的にない。 何十億の資産があっても、継続性や現実性がいかほどであろうとも「蓄えをせよ」と生存に関わる脳が言ってくる

これも働きたくなる理由となりうる。

繰り返しになるが、私は現役復帰したいとは思わない。理由はここで書かなかった良い影響の部分がまったくもって代えがたいものであるのと こうやって文章に起こす程度には自分と向き合っているからである。

さらに付け加えるなら、リタイア歴が長くなればなるほど、今回挙げた問題点の解決方法が失われいき、社会復帰自体が難しくなるからであるわけだけれども。

また折を見て何か書きます。

早期リタイア後のロールモデルについての結論

 図書館にて、蔵書の検索を司書さんにお願いしている間、雑誌コーナーをうろうろしていた。そうすると月刊ビッグトゥモロウという雑誌が「セミリタイアの実際に迫る!」といった特集を表紙で大きく見出しにしてあったので、ページをめくってみた。すると不動産を沢山管理している人、アフィリエイトで生計を立てている2人のセミリタイア者の生活について書かれていた。彼らは不労所得と謳いつつ日々忙しく収益物件の管理に勤しんでおられた。いやそれセミリタイアじゃなくて個人事業主だろ。

 というわけで、今回は早期リタイア後のロールモデルについて。ロールモデルという言葉は掴みどころがないので、噛み砕いていうと「まあマシだと思えるいくつかの人生設計の例」みたいな意味で使っていると思っていただきたい。これについて話していく。個人的には完結編。

【目 次】

やっぱりロールモデルは存在しない

 私は早期リタイア後のロールモデルについて、リタイアする前に1年とその後2年、都合3年くらい真剣に考えてきた。リタイア後いったいどんな生活がベストなのだろう。「後」という文字が大事である。リタイア前のロールモデルは「私はこうしてお金持ちになった!」とか「ラットレースから抜けだした!」みたいな啓発本が書店に山程あるのでこれをあたれば良い。リタイア後の話だ。

 しかし「後」についてはほぼ誰も言及しておらず、せいぜい「南の島でのんびりして、好きなことだけするぞ」程度の扱いだ。これについて私は、そんなばかな話があるか。もっとなんか、こう、あるだろう! 一般的な過ごし方ってもんが! と考え、真剣に仕事辞めてじゃあ何すんのよ。どんな生活がベターなのよ。というところを思案し・実践もしてきた。

 で、結論としてやっぱりロールモデルは存在しない。無くて何がそんなに困るんだ、と読んでいる人はほとんど人は感じるのだろうが、30代40代で早期リタイアして平均寿命まで数十年、活動エネルギーがたっぷりある一個の成人が、何の指針も無く生きろ、といわれると当事者としてはかなり当惑する。みんなでサッカーをプレイ中にボールを1つ渡されて「あとはグラウンドの外で好きにボール遊び楽しんで良いよ」と言われたような感覚が近いかもしれない。ボールは蹴っても蹴らなくてもいいし、多分手で触っても誰も何も言わない。

 これが話をややこしくする。

しかし、今までのルールが使えるわけではない

 資本主義的なものに重点を置く現代社会で、早期リタイアは1つのゴールに設定されているといって良い。資本の出自はなんでも良い。宝くじが当たったり、株やらFXやら商売やらで一発当てたり、遺産相続でもなんでもいい。とにかく労働を切り売りすることに終止符を打って、自分の心と体を自由にする。食い扶持は資本の増殖によって賄うか、それすら必要がないくらい蓄えがある状態を目指す。

 お悩み相談などでの

 

「こういうのが賢い人生の選択ってものだぜ」

といって導き出される結論は、だいたい資本主義社会の効率性に基いているものだ。本当は西側諸国の価値観やらそれに付随したキリスト教的倫理観うんぬんかんぬんとか儒教がどうしたとかイロイロ混ざり合っているんだろうけど、最終的に最大多数から「賢い選択」と呼ばれるのは、資本の効率に紐付いている場合が圧倒的多数だ。あなたがそれを外れる事ばかりしていると「あいつはアホだ」とか「あの人はほら…なんていうか優しいから」などと残念な評価を受けることになる。

 というわけで食い扶持を楽に得るためのスマートな方法論が社会には確立、というよりは支配しており、その指針で個人個人の各問題にあたれば良いわけだ。社会全体で進むべき方向の共通認識がある。海は決して穏やかではないが、羅針盤が手元にある。

 しかし食い扶持の確保が不要な場合、こういった方法論が一挙に葬りさられる。だってこれらは食い扶持を確保するためのスマートな選択であって、それ以外のための方法論では無いからだ。

 現代社会の1種のゴールに到達したあと、それまでの方法論が一切通じなくなる。現代社会のルールにフィットしようとした人ほど、ゴールに近い人ほど、これに当惑する事になる。得意なゲームはもう終わってしまったのだから。もちろんゲームを続けて蓄えたパンの数を100個から10万個にすることもできるのかもしれないが、私は御免被りたい。

 というわけで、ここからは、好きに生きる必要がある。

好きに生きろの難しさ

 繰り返しになるが、社会通念上賢明な判断というのは、食い扶持を効率よく稼ぐための判断である。

 食い扶持を稼ぐ必要が無ければ、良いとされる判断は社会通念上賢明な判断とは別になるだろう。そういったあらたな賢明な判断の基準を採用する必要がある。私がくどくどくどくど言って来た「リタイア後のロールモデル」とはこれの事だ。

 資本主義的では無い物事の判断というのは、もちろんある。

 例えば、最大多数の最大幸福を目指す社会主義的な判断であったり、宗教的やそれに類する倫理観による判断であったり、個人的快楽に基づく判断であったり。この辺の実際例は最後のほうにまとめて書いておこうと思うが、日本においてはどれも資本主義的な判断より支持者が少ない指針だろう。

 あなたはリタイアしたあとに、資本主義的な判断の代わりに、こういった指針を吟味して選択する必要がある。

 それが嫌なら、自分で価値・判断基準を独自に練り上げて判断する必要がある。既存の通念を無視して、何が良くて何が悪いのか、自分できめる。好きに生きるんだ。

 全ての判断を独自に行う事は、これまで培った人間力みたいなものが試されるかもしれないし、多くのあなたの判断について他人から白い目で見られるだろう。最大多数派閥のルールに則っていないのはあなたなのだから、それは避けようが無い。あの人は仕事を辞めて、気がふれたみたいね、なんて言われるだろう。

 そんな中、自分の判断を自分自身で支持し、貫徹するのは、超人のような人間でなければ不可能だろう。最大多数派閥のナイスから大きくかけ離れていれば、それは宗教家とか哲学者と呼ばれる。

中途半端に社会に迎合するのも上手くいかない

 セミリタイアという言葉がある。私もたまに使うが、これはだいたい上手くいかないと最近思っている。(私の場合、人生の通過点といみでセミとしていた)。資本主義的なフィールドを全力で行き来している人々の間にゆるーく入って、判断基準も彼らほど徹底していないセミリタイア者は、まず彼らに勝つことができないだろう。不労所得といいつつそれらの管理は全力でしなければすぐ出し抜かれるはずである。

 リタイア後の社会福祉などを通じた社会参加に関しても同様だ。強い信念があるか、強烈な孤独などの背景がなければ物味遊山終わってしまう。動機付けが弱すぎて社会に強くコミットできない。必然性が無ければナイスだと信じれる強い信念が必要だ。

 部活のOBが煙たがられるように、リタイア者の社会へのちょっかいもうざがられて終わる場合が多いだろう。

 こういった動機付けや価値観の転換によって、リタイア者はリタイアしたまま社会に参加しようとすると圧倒的弱者にとどめ置かれる。そもそも中途半端に資本主義的な判断を取り入れる事自体が、リタイア生活と相反しているため上手くいかない。

 といったわけでリタイア者の社会参加の選択肢はフルタイムでコミットするか、必要最低限にするか、二者択一となる。どちらにも強烈な理念が必要となる。

リタイア者の人生観パターン

 「ロールモデルなんてねーよ、自分で考えろバーカ!」で終わってしまうのはいささか心苦しい。私も数年気になってしかたが無かった問題なので、考えうるリタイア者の人生観パターンを列挙しておく。リタイア後の人生パターンというよりは、資本主義的価値観以外の判断をする人々をまとめたものだ。できるだけ哲学的なカテゴライズにならないよう、見聞きした私の感覚で分類した。結局のところどれも社会的には少数派のため、強い信念を持って、他者に「うるせーばか」と言わなければならない。

没頭できる遊びを追求し続ける人

  これは一番分かりやすい。趣味でも仕事でも良いがなんかしらのライフワークに没頭し続ける。本人としてもなんだか良くわからないが楽しいのでただただこれを続けてしまう。こういったものを人生の一番大きな課題とらえ、人生の様々な物事を取捨選択していく。血縁を捨てるのも厭わない。これは信念よりさらに深いところから湧き出す力なので、心理的転換が起こる事も少なく、終生充実した時間が送れることだろう。これは切手収集から世界征服まで様々な形で表現される。

 食い扶持をこういう形で確保できている人は、並のリタイア者より幸福だと思う。

静かな生活を追求する人

  半径5mにあるもの、愛する人や日々の暮らしを大切にする。判断基準は、生活と愛する人が守れるかどうかになる。子育てや自給自足に大半の時間を捧げるような生活様式になると思うが、前述の没頭できる遊びと子育てや自給自足が同義にならなければいけない。でなければ、愛や地球の恵みに対する強い信念が必要になる。だから南の島でリタイア者はのんびりできないのだ。

ノブレス・オブリージュ型の人

 「高貴なるものには義務がある」という考え方で、食い扶持があるのに働かないようなやつは、その余力を社会に還元して当然だという理念を一生をかけて実践していく。判断基準は社会貢献になるかどうかである。物心ついたころより裕福な人々がたどり着きやすい人生観だと個人的に思う。これらの人々は、政治家・宗教家・社会活動家など、なにかしらの社会的イデオロギーに携わる事になる。多くの場合、その信念によりフルタイムで携わる事になる。

信仰を追求する人

 判断基準を神に委ねる。資本主義的な社会通念より信念を持ってそれを実践できる強力な存在といえば、神と神が定めたルールである。

快楽の追求をする人

 それが快楽を伴うかどうかで人生を判断する。資本主義的な判断基準が使えない場合、快楽の量で物事を判断するというのは原始的でありつつも説得力のあるものになりうる。人生の幸福とは快楽の総量であるととらえ、脳内快楽物質の放出総量で、人生の幸福度を測る、といった論理的な説明も一応つく。社会的大逆転を達成したり、金銭的苦難から開放された人が選択である。ドラッグや性欲によるそれはわかりやすい例だろう。

 破滅的ではあるがリタイア後は「うるせーばか! クソッタレ!」なので何を言っても無駄である。

興味の無限探求をする人

 これは幼少期より将来の食い扶持が保証されている人になぜだか多い。広大な人生という空間を埋めるべく、自分の知的好奇心にまかせて世の中の様々な事をつまみ食いしていく人々だ。判断基準は好奇心である。よって快楽や信仰やその他のものへのアプローチもここへ内包される。幼少の頃から、自分にとって意味のない価値観が社会の大半を占めている事に対する反動みたいなものかもしれない。それ故1つのカテゴリーを突き詰める事があまりない。ただ、こういった人が人類にとっての傑作を生み出す場合がままあるので、信念に基づくというよりは、深く考えない天才肌なのかもしれない。

放浪を続ける人

 こちらも好奇心に基づく判断基準である場合が多い。多くの場合これは独身である。社会との接点が希薄、もっといえば阻害されがちで、定住化するメリットが見いだせないため根無し草のように各地をただようように放浪して生きている人々である。むしろ放浪をすることで「旅行者」という扱いをしてもらえるために、一時的ではあるが社会と接点が生まれる。これは受動的な背景が大きいため、当人は強い信念を持っていないことがほとんどだろう。ただ彼らは資本主義的価値判断がもはや使えないことには気づいている。

 これらに加え、何も考えていないやつや資本主義的価値観をそのままにリタイア後の人生を過ごすまぬけが何割かいる。

 とはいえ、おまえの中で正解なら、どんな答えでもおまえの人生にとってそれが正解である。

まとめ

 この記事の結論としては、リタイア者はどんなに他者から後ろ指さされても「うるせーバカ、こちとら別のゲームをやってんだよ」とうそぶく必要があるということだ。リタイア者でなくてもこういう態度を取っている人は勿論多くいる。作家の村上春樹氏なんかはエッセイで「金なんてこの世界に存在しないかのように生きていきたい」といった主旨の話をしていたが、資本主義社会に強くコミットしてきた人は、少なくともこの程度まではリタイア前後で価値観を大転換する必要がある。

 早期にリタイアする予定が無い人がこの記事を読んだ際に、これじゃあリタイアするのもしないのも大して変わらないではないかという感想を得られるかもしれない。それは大部分あなたの考えが正しい。労働から解放されたからといってそれは人生におけるゴールでもなんでもない。そうは言っても、人生をどれだけハンドリングしているかという意味では天地の差がある。大衆のナイスを拒否できる。

 強い信念を持って新たな自分だけの判断基準や取り組みを確立する。ロールモデルが無い代わりにこれを行うのが全リタイア者にかせられた課題なのである。

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