クラフトマンはアーティストに勝てる日が来るのか

今日はベイマックスと文章術と村上春樹氏について、ごく個人的な感想を記事にします。日記でオチなしです。

最強に強まった記事タイトルに出来そうなお題です。しかし中身が無い記事なので、私の良心がそれを押しとどめました。「湯けむり殺人! 村上春樹とベイマックスから学ぶ14の超文章術! ポロリもあるよ」みたいな。

文章術と個人の文章の才能について

ブログを初めて約2ヶ月。他人に読ませる文章を書く、というのは人生初の試みだったので、試行錯誤しながらやってきました。徐々に文章が出てくるようになり、最近では楽しさにまかせて記事を仕上げる日々です。何度目かの皆さん、いつもありがとう。初めて来た人には、どうぞよろしく。

世の中には文章術に関する本が溢れています。私もブログを始める前、何冊か手に取りました。句読点やてにおはの使い方、序破急など文章の構成について学習しました。

はてなブックマークでは、文章術に関するエントリーが常に人気です。

手前味噌ですが、2014年はてブランキングをカテゴリ分けした記事を作成しているのでご覧ください。どれくらいはてなーが文章術を獲得したいかが読み取れます。

自分を振り返ってみれば、文章を書き始めて2ヶ月、すでに文章力の向上は諦めました。端的に、私の文章はビジネスで培ったもので毒されていて、どこまでも人工的な、説明書のような文章しか書けないらしいのです。志賀直哉を読んで「くそみたいに引っかかりが無い文章だな」と思いましたが、私の文章は突き詰めるとそういう所に行き着くのだと思います。白樺派の巨匠を捕まえてこんな事をいうのもどうかしている気がしますが、素直な感想です。

私は、文章で人の感情を動かせたら、と前に少し思っていました。しかし、それが叶わない。持ち前の努力の才で、文章を作る熟練工(クラフトマン)には成れる気がするが、芸術家(アーティスト)には成れそうにない。人生は、こうやって可能性が1つずつ消えていくのを確認する作業だったりしますが、中年になっても慣れる事ではありません。

文章術を語る事と、アーティスト村上春樹の豪速球

クラフトマンは、文章術を語れません。アーティストにかなわず、文章の真理に到達できていないから。クラフトマンが諦観の末に、文章術を語る事はあります。例えば学校の先生とか。あとは、句読点などウェブページ1枚に収まるような話とか。

アーティストも、文章術を語りません。ウェブ連載中の村上春樹氏の連載で、文章が上手くなる秘訣で村上春樹氏はこう語りました。

文章を書くというのは、女の人を口説くのと一緒で、ある程度は練習でうまくなりますが、基本的にはもって生まれたもので決まります。まあ、とにかくがんばってください。

村上さんのところ/村上春樹 期間限定公式サイト

アーティストの才能の源泉については説明しようが無いし、しても真似ができません。よってアーティストも文章術を語りません。スティーブン・キングも文章術の本を書いていますが、文章術をお題にした読み物だったりします。

書くことについて (小学館文庫)

書くことについて (小学館文庫)

村上春樹氏も文章術について作中で少し語っています。1Q84。主人公は小説家でした。手元に作品は無いですが、他の方が引用していたので、リンクしておきます。

1Q84 BOOK 1

1Q84 BOOK 1

それはまるで、陶芸のろくろ回しのように、土から形を取り出し、神が宿るまで細部を研ぎ澄ますような工程として書かれています。しかし、クラフトマンも、ろくろは使います。同じ工程を経るのです。しかし、そこに神が宿る事はそうありません。よってこれは真の文章術では無いのです。

結論として、正しい文章術を語る人は論理的には誰もいないはずなのです。

クラフトマン魂の結晶? ベイマックス

時期を逸した感がありますが、先日ベイマックスを映画館で見てきました。マーベルコミックスの「BIG HERO 6」を下敷きにディズニーが磨きあげた、笑いと感動の一大エンターテイメントです。私もご多分にもれず、笑い、涙しました。明らかに計算ずくで作られているのに、心が動かされます。

昨年末、NHKで「魔法の映画はこうして生まれる」としてディズニー・スタジオのベイマックスの制作現場を長期密着取材した番組がありました。彼らがどれくらい考え、人工的に感情を動かす作品を練り上げているかがわかります。(NHKオンデマンドには残念ながらありませんでした。Googleで検索すると動画がアップされていましたが、正規のものではないようです-2015/01/31)

ベイマックスは、個人の才能では無く、チームで練り上げた、いわば職人的な作品です。1人の天才の作品を、多数の職人の作品が凌駕する。そんな未来を垣間見ることが出来る作品です。

創作活動であれ、商品の開発であれ、飛び抜けたプロダクトを生み出す際のセオリーがあります。平均点を集めたようなチームを作らず、1人の天才と、手足としての凡人でチームを構成する。失敗する可能性ももちろん高いですが、これが、プロダクトとして飛び抜ける秘訣です。しかし、ここ10年ほど、商業活動においてはその流れに変化が生まれてきたように思います。ディズニーの3D作品はそうですし、もしかしたらiPhoneもそうなのかもしれません。

クラフトマンも時間をかけ磨き上げれば、人の心を強く動かす作品が生み出せるのかもしれない。

ただ、クラフトマンを目指すものとして不安な点は、結局のところ彼らも天才の集まりの気がしなくもない、というところです。

クラフトマンはいつもアーティストに恋している

クラフトマンを目指す私は、いや、世界中のクラフトマン側にいる人たちは、アーティストに恋し、そして嫉妬しています。人々の心を強く動かす作品を生み出すアーティストたち。絵画・音楽・映画・漫画。どんなコンテンツであれ、消費者として楽しんでいるうちは、平和です。

しかし、自分が彼らと同じクリエイティブな側にいると認識したとたん、狂いそうになります。彼らも骨身を惜しまずやっているに違いない。しかし、なぜ彼らはそこまで、感情や空気など形の無いものを、その媒体に留め、聴衆に届ける事が出来るのか。他者と共有する事ができるのか。

「あなたには魔法使いの血が流れていません。魔法使いは血で飛ぶのです」

こう言われたような絶望が襲います。私は筆を置くべきなのか。

しかし、クラフトマン側の私は、彼らを論理的にはとらえられている。アーティストの持つ、世界のエンコード(圧縮)とデコード(解凍)能力、別の言い方をすれば、自分の感覚で世界をフィルタし、言葉や音、絵に変換して定着させる能力。そういう事なのはわかっています。中身は分からないが、そこに黒い箱があるのは、わかっている。

彼らの黒い箱を見るにつけ、それを持っていない自分は、歩んできた人生のどこかで、何か大きな間違いをしでかしてしまったのではないか、という感覚が強く胸をとらえます。

私に足りないものは、何か。知識か、師か、技術か、経験か、より多くの良い作品に出会うことか。それともやはり持って生まれたものなのか。そうやって多くの作品をめぐり、学び、また衝撃的な作品に出会う。作品の前で立ち止まって動けない。次のページに進めない。打ちのめされる。彼らにあって、私にないものはなんだ。

それを解き明かせさえすれば、私も魔法が使える。彼らと、同じように。それが、例え人工物だとしても、私は、魔法が使いたい。

そんな事を思いながら、もう少し書いていこうと思っています。

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