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承認欲求が強い人順に狩られる世界

承認欲求が強い人は、社会でもネット上でも狩られる側にいます。

逆に、私は、コメントなどネット上のアクションは、時間が許すだけしています。その事について記事にしておきます。

要求が強い人は経済社会で狩られる

社会・愛・承認欲求が強い人、感情の起伏が強い人は、経済上弱い立場に立たされます。ネットであれ、現実社会であれ。

これは、彼らが求めている、承認が、言葉やクリックで生み出されるためです。

「愛している」「信頼している」「面白い」「ためになる」すべて0コストで生み出されています。経済的負担がほぼ無いため、渇望する人は、意図的に承認している人に狩られてしまうのです。

しかし、精神的な欲求はデメリットばかりではありません。たとえば、芸術家が満たされない感情を作品に昇華する事は良く知られています。

しかし多くの場合は、承認の価値を内側で肥大化させすぎて、悪意をもって他者に承認を与える人に狩られてしまいます。

ブログを見て欲しい、私のメンションにツイートしてほしい、Facebookでいいね! が欲しい。愛して欲しい、有能だと認めて欲しい、重要な存在だと認めて欲しい。全てそうです。

著名人を論破したい、なんてのも実はそうです。

そういう欲求は、ほとんど換金する事ができます。

承認を生み出す側からすれば、ほぼゼロに近いコストで、彼らの求めている付加価値を生産できます。リアル・ネットどちらの人間関係でも、あなたがそこから利益を得ようとするのであれば、承認を売るほど効率的な商売はありません。ビジネスの世界でも、承認を金銭的価値に交換する事があります。例えば、ポストを与える事で昇給を抑える、などです。

ネットでエスカレートする欲求狩り

心理学者ミルグラムは、実験を行いました。学生を2つのグループに分けました。白衣を着せたグループ、KKK(白人至上主義団体)のマスクをかぶらせた2グループです。そして、双方に電気ショックをもたせ、無実の人に電気ショックを与えるよう命令しました。

結果は、KKKグループのほうが有意に強い電気ショックをする傾向にありました。

この実験でも分かるように、人の悪意は、個性を隠した状態で無意識のうちに強化されます。

また、ネット上の人間関係は「特定の友人」ではなく「不特定多数」を対象にされるので、失敗や返報を恐れる事がありません。これは一層悪意を強化する背景になりえます。

思惑からハズれたものは無視すればいいのですから。代わりはいくらでもいます。また、あまりに酷い事をしなければ、現実世界まで付きまとわれる可能性も高くありません。

それを顕著に表すのがネット上の情報発信者による、ユーザーの心理的操作です。ブロガーが炎上によって利益を上げている事が、最近よく知られてきました。ソーシャルゲームが承認を始めとした人間の心理を換金している事も皆さんご存知のはずです。

ブログに書いた意見を見て欲しい、コメントが欲しい、Facebookにいいね!が欲しい。ゲームの仲間に認めて欲しい。狩られないためにも、そういった感情は意識的に抑えるべきです。逆に、承認を得られた場合は、相手がその承認に費やしたコストに注目すべきです。

また、心理的な障壁により他者に承認をあまり行わない人。例えば、安易に承認する事が格好悪い、自分の価値や評判が下がると考え実行しない人。こういう非消極的な立場の人は、相対的に不利に立たされます。戦略的には、積極的に承認するのが正になります。

とはいえネット上ではアクセス、トラフィック程度しか刈り取るものがありません。現実では行き過ぎたものは犯罪になるので闇雲に不安をいだかなくても大丈夫です。

モラルを無視した経済合理的な人間像

あなたがモラルにこだわらず、承認欲求が強い人から経済的利益を得たければ、ゲーム理論や心理学をつまんで、学んだことを自身の人間関係に向けて実行すればよいでしょう。ビジネスの世界のスタンダードを個人的な人間関係に持ち込むのです。

例えば、交友関係を1人ずつ、もしくはブロック単位で行き来が無くなるように管理します。評判の伝搬を管理するのです。そのブロック毎で最大限「会いたい」「一生の友だちだ」「好きだ」「愛している」と言いまくる。そうすれば最大限の経済的利益をブロック毎から引き出せます。

ネットの世界であれば、あなたの悪評が立って目的が達成できなくなるような事を避けながら、できうる限り多くの人と交流を行い彼らを承認するべきです。

ここでも承認される側の狩られない理論としては、承認のコストを正しく見積もる事。必要によって金銭や物理的負担を求める事。婚約の際に、高価な指輪を相手に要求するのです。承認によって大きく経済や人生が左右される場面では、掛け金を正しい額まで釣り上げましょう。もしくは狩り取られて困らない程度にしか欲求しないこと。

社会的欲求を満たすのは悪ではない

社会的欲求に対する承認は、そういった悪い使い方だけではありません。相手を承認する、というのは基本的に良い行為になりえます。

久しぶりの連絡や、LINEの一言はこちらからすべきです。心理的な障壁を自分が意識的に抑えて、相手を承認するのです。心理的負担をこちらが引き受け、相手を心地よくする。悪いことではありません。

そうやって考えれば、女性の服装は褒めるべきですし、男性の頼りがいは常に賞賛すべきです。すれ違う人にはあいさつをすべきだし、店員にはありがとうを伝えるべきだし、親には育ててくれた感謝を伝えるべきだし、愛している人には毎日愛しているというべきです。

他にも、家事を負担してくれる家族に対して、意識的にありがとうを言う。してくれた事、した事が同じでも心理的にしてくれたほうが低く見積もられます。人間の心は意識して調整しないと自己バイアスにより標準以下の反応しか示せない事すらあるのです。

人間関係に合理性を求めても、あなたは、今以上に親切で好感度の高い人間になるはずです。

そもそも、こういった事はコストゼロで大きな充足を他社に与えられることを思い出してください。心理的障壁さえなければ、あなたは大量の承認を生産し、無償であるがために見返りを求めずに供与できるのです。

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結論として、承認欲求は得られにくいが、その実際はコストがゼロであり、簡単に生産できてしまうこと。その価値差を与える側、与えられる側共に見誤らないようにすることが必要だという事です。

これは経済合理性や、人間の心理のクセの話です。あなたのポリシー次第では、合理性を求める必要もなければ、心のままにしておくのが正解の場合もあります。利己的な事が正解とは限りません。

ただ、そういう事を意識的にしている人が世間にいるのを、心に留めておくのは悪くない事です。

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