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現代日本に蔓延する生きづらさの解説とその回答

日本は生きづらい。私はその心の声に従い、勤労をやめた。30代前半で日本の生涯賃金を稼げたからだ。以後2年は働かずに過ごしている。しかし、私の心に生きづらさはいまだにこびりついている。

今、日本の多くの若者が、生きづらい と形容したくなる世相感を持っている。空気が薄く、前方にうっすらともやがかかったような感覚を忙しい日々のちょっとした隙間に感じる。それがどこからくるのか、はっきりと指し示し明らかにできる人は少ない。ただ、自分が間違った方向に進んでいる気がするのは確かに感じる。

きりんの自由研究久しぶりのエントリーは、生きづらい日本の根源と、その対処法をまとめていく。

生きづらさはどこからくるのか

最初に生きづらさを構成している要素を分解していこう。あなたに生きづらさを感じさせているのは何か。

現代と高度経済成長時代の幸福価値のずれ

誰でも一番に思いつくのがこれだ。

「僕はパパやママが描いた良い人生を実践してますが…全然楽しくないんですけど?」という感覚である。結婚なりでパートナーを得て仕事も順調、安定した仕事をし、欲しいものは手に入った。なのに充実感が得られない。これは、親・世間で幸せとされている事と、自分が幸せだと心から思う事が違うために、幸せを感じることができない。それを延々続ける事が、生きづらさとなる。

親の世代が定義した幸せは、物質的豊かさであった。70年台以前は、歯を食いしばって日々の暮らしに耐え、物質的な豊かさを得ることが幸せの象徴だった。カラーテレビ・エアコン・自動車。三種の神器。高度経済成長を下支えに、モーレツな働きがあればそれを手に入れる事が、幸せを手に入れる事が可能だった。稼げば不便な日々から開放され、まったく違う生活様式が手に入る。それ以外の価値観を追求する段階に日本社会はまだなかった。

今はどうか? それら以上の物を手に入れられる。しかし物質的に必要十分な現代において、オーバースペックな物品にそれほど魅力を感じる事は無い。テレビの画素数、ポリゴンの数が増えても幸せを感じるのは難しい。人間の本質として、環境に劇的な変化が伴わなければ、その幸福感は強く感じられるものにはならない。

自分の本心は望んでいないのに、それを幸せと規定されている。これが生きづらさとなる。

しかも、若年層は昔より金を稼ぐのが難しい。それは状況をより悪化させている。

親世代がイメージする中流階級になるのは、どんどん難しくなっている。30前後で結婚し、一姫二太郎。子供ができたらマイホーム。最近私がお呼ばれした30前後の既婚者が集まる新築ホームパーティでは、主催者以外、賃貸に済むという状態であった。与信力が大きな理由であることは、年齢や職業からおおよそ見て取れた。

中流は、すでに普通に生活するだけでは手に入りづらくなった。普通が手に入らなかった自分の人生。その劣等感も生きづらさを生み出す。

理想の生活、理想を得られなかった生活。どちらの側も生きづらさを感じる。

先進資本主義社会におけるハウツーの増加と幸福感のずれ

「経済的観点で考えると…」という枕詞で始まる考え方だ。例えば、結婚は非効率だからすべきでない。勝ち組就職ノウハウ本、キャリアアップのための社内交流とライフハック。現代社会をサバイブするのに英語とプログラミングは必須であるといった考え方がそうだ。

あなたが日々経済合理性に基いて生活し、その結果経済的に優位を得たとしよう。しかし、それによって生き苦しさは解消されるわけではない。前項と同じで、経済的優位さ、経済効率と幸福は別物だ。実はこの事に多くの若者が気づいている。しかし、彼らはその事実に気づいているのに、放置している。

脳科学的には、やりたくない作業でも、長期的にメリットがある活動においては報酬として脳内麻薬が放出され、楽しく作業できるという。しかし、それはあくまで自分が長期的にメリットがあると感じれる事だ。長期的なメリット、つまり経済的な効率の行き着く先にある幸福な人生について、自分が信じていなければ日々の活動は単純にやりたくない作業の繰り返しとなってしまう。

経済的優位と幸せの相関を疑いながら、日々ライフハックに勤しむと、生きづらさを生み続けるわけだ。

不透明な未来と新日本人ロールモデルの不在

簡単にいえば、日本の若者の未来は薄暗いと、マスメディアや専門家がそれなりに確かなデータを持って叫び続けているのに、それに対する対応策やロールモデルがあまりにも少ないのが問題だ。

さらに、予測学は日々進化している。その結果、日本の若者の未来は統計を証拠に、かなりの真実味を持って予測され、知らされる。それを情報として浴びでしまうと、論理的な若者は、統計学を根拠に身動きが取れなくなる。このまま進んでも道は無く、他の道も統計で潰されている。

一昔前であれば、情報元や技術を理由に制限されていた。人生のロールモデルや将来予測は親や親族、地域コミュニティ、そして少ない文献から得られるものが基本だった。選択肢が無ければ、悩みも生まれなかった。

暗い未来に向かって突き進まざるを得ない。これが生きづらさを育む。

日本社会の多様性の低さ

サラリーマン生活をしていないを私が今でも強く感じる生きづらさは、これだ。

日本は、画一的な社会である。画一的な社会は、少数派が極端に少なくなるため、抑圧が生まれ、生きづらさを生む。

この島国は、長く独立を維持し、民族的に単一性が高く、異国文化を許容するのでなく、取り込むか排除する事で文化を織り上げてきた。そいうった性質から、身体的特徴や、嗜好を始めとして、普通と呼ばれる範疇におさまる人が多い。

そのような環境において、セオリー通りの生活や見た目をしていない少数派は強烈な奇異の目で見られ、暗に陽に多数派でない、普通では無いことを、さも悪であるかのようにプレッシャーにさらされる。

米国やシンガポールなどの多民族国家や、昔から他国民を受け入れざるを得なかった国々は、自分と違うことに許容的だ。迷惑をかけなければ、他人から自身の言動について指をさされる事は驚くほど少ない。空気を読む、ルールと慣習など話出せばキリが無いが、足が無くても、仕事が無くても、ゲイでも、許容される。そもそも、普通の人、標準の人、という考え方あまりない。

これ自体が生きづらさを生む下地として日本には存在していた。そして、近年では自分は当然中流であるべきなのに、実際そうで無いこと。これが生きづらさを増幅するようになってきた。日本で中流を得られなかったら生きづらいのである。これは被害妄想では無い。脳も、相対的に少数派、弱者であるという認識に対して強くストレスを感じるのだ。

ここで一億総中流の日本人の認識を、Wikipediaから引用しよう。

バブル崩壊後の「失われた10年」になると、グローバリゼーションの名の下にアメリカ型の新自由主義経済システムが日本でも普及した。すなわち、人事面で能力主義や成果主義が導入され、終身雇用が崩壊し、非正規雇用が普及することになり、労働者の長期的な信用は縮小して信用販売のリスクが増大した。このため、一億総中流社会は崩壊してしまったとする意見もあるが、前述のように「失われた10年」においても国民意識としては統計的にまだ「一億総中流」が続いていたと見られる。

「一億総中流」という国民意識はあれ、1997年(平成9年)以降は年収299万円以下の層と1500万円以上の層が増加する一方で300〜1499万円の層は減少しており、現実には格差が拡大傾向を見せた。

(中略)

また、2013年6月に実施された同調査でも、9割以上の国民が自らの生活程度を「中」であると感じると答えており、リーマン・ショックから数年経った現在でも「一億総中流」は続いているといえる。

実際の所得格差は広がっているのに、人々は中流だと考えている。多様性が広がりつつあるのに、中流の幻想だけがこの国にこびりついているのである。

幻想の普通で無い事に悩む、普通であろうともがくことで生きづらさが生まれる。

先進国で規定されすぎた道徳感

犯罪を推奨するわけではない。文化人として、現代社会人として品が無い行動。これが日本では規定されすぎている。男性でいえば、俗にいう、飲む打つ買うや喫煙などが悪として定義される。女性であれば、過ぎたうわさ話買い物、貞操観念の低い行動、美容を気にしない飲食になるだろう。

責任や義務についても同様だ。現代社会ではあまりにも、追うべき義務や責任について明確に定義されすぎており、さも全ての人々がその責務を全うしているような言説がまことしやかに拡散される。

やりたいのに出来ない状態は、生きづらさを生む。間接的な自由の剥奪と言えるだろう。また、世間を無視し、世間に悪いと規定された行為をしてもストレスを感じてしまう。逆に世間的にやるべきとされている事をやらない、その後ろめたさもストレスを生む。それは生きづらさと同義だ。


乱暴にまとめると

  • 物質(ほか金銭で得られる)幸福感の差
  • 現代日本で普通とされている生活と自分の人生の差
  • 現代日本で良いとされる常識・道徳観と自分の心情の差
  • が大きければ大きいほど、生きづらさが貴方の世界を覆っていく。日々を薄暗くする。

    日本の生きづらさに対処するには

    では生きづらさが自分の許容を越えた場合どうしたら良いか。4つのアプローチを考えた。

    日本の価値観や文化を遮断する

    日本の現代社会の価値観と、自身の価値観のずれが埋まらないのであれば、価値観や文化の発信元を遮断し、自身の価値観で物事を判断する方法がある。これは最終的に日本や文化的な生活を打ち捨てたライフスタイルを選択することになるだろう。仙人や修験者のように山にこもるような。

    そこまで過激な行動を取らずとも、日本語ウェブや新書などの価値観の入り口を遮断するだけで大きな変化があるだろう。バラエティ番組と、家族や友人、職場からの情報だけで生きていけば、生きづらさは大きく低減するだろう。生きづらさの根源となっている日本人像を、その限られた情報元で構築すれば、随分苦しみは楽になるはずだ。

    文化圏を移動する

    海外であれ、バーチャルな世界であれ理想的な日本人を期待されない文化圏へ移動するのも有効だろう。ハイコンテクストな上流日本社会に嫌気が差すのなら、ドヤ街などその日暮らしの生活に移動すれば文化圏を移動する事になる

    海外に出ると視野が広がる、という若者が多い。この言葉をちょっと言い方を変えてみよう。

    「日本では考えられないくらい不幸な貧乏人が普通に生活しており、見たこともないような金持ちがたくさんいる。まったく学ばないものもいれば、人生を変える為に必死に勉強する優秀な若者もいる。そんな多様性を許容できる諸外国は素晴らしい!(そして僕自身をそこにランキングするとするならば、真ん中よりはるかに上に位置する)」だ。

    消極的な方法で生きづらさを受け入れたり遮断したりするより、ルール自体が違う世界で生きる事を選択したほうが、日々の充実度に大きな差が出るだろう。

    短絡的に、感情的に生きる

    これは一見消極的に見えるが、一番成功率が高い方法だ。理想とされている日本人像全てをフィクションだとし、現状との比較をしない。意識を常に低く保ち、明日の供えをしない。快楽を優先する。将来を見据えた論理的な行動をやめ、日々を感情的に生きよう。

    生きづらさは抑圧された自分が積乱雲のように育った結果のようなものだ。

    理想の日本人像は論理的で長期的な視野に立った、人々から好かれる分別のある大人である。これに迎合しないように生きていけば、生きづらさは解消される。例えば、物事や人物に対して感じるままに、怒り、泣き、わめきちらす。湧き上がる感情をそのままに溢れさせる。自分の要求に素直に従うのだ。相手を口汚く罵り、他人を殴り、金を稼がず、稼いでも馬に突っ込み、酒を飲んで、ナイターを見て寝る。

    短絡的で感情的、つまり非文化的な言動は悪い部分ばかり指摘される。しかし、その多くが脳に快感をもたらし、不安や悩みから目の前の現実にフォーカスを取り戻すメリットが厳然として存在する。

    他人を説教し、自分の境遇や所有物を自慢し、やりたい事を優先し、他人の提案を拒否をする。発言の真偽や相手の感情はどうでも良い。ここで大事なのは、そういった態度で自分の自尊心を高め、社会的に有用な自分を確認する事である。セルフイメージ、自己評価を高める。それは生きづらさの解消となる。

    これらの言動を自分が行う事を少し想像してみよう。想像するだけで心が少し軽くなり、ちょっとした快楽と呼べるものを感じる事ができる。もう、あなたの毎日がどれほど生きやすいものに変化するか理解いただけただろう。

    貴方の生活が崩壊しない程度に、反社会的で嫌な人間になろう。

    脳をコントロールする

    最後にややテクニカルだが現実路線なの方法を紹介する。生きづらさ=理想の日本人、人間像との自分の差が苦しみを生み出していると繰り返し述べてきた。これは言い方を変えれば、何も物質的な現象が伴わない、思考の葛藤であるといえる。幻想で苦しんでいると言ってもいい。

    このようなものに対する古来からのアプローチは信仰だ。神は我ら悩める子羊の文化や生活を受容しつつ、そこからあぶれた人々の魂を救ってくれる。信仰を持つ人々はそうでない人に比べて幸福度が高いという統計は良く知られている。人生に少し信仰をプラスするだけで、人は思ったより幸福になれる。人類最大の発明は、偉大である。

    とはいえそんな邪な理由で信仰しても効果はいかがなものか、とも思う。

    なにも宗教だけが信仰の対象では無い。要するに脳を騙し、日本的価値観を超越した価値を、自身の脳に認めさせれば良いわけだ。それは人によって、中毒と呼ばれる程に執着する行動や趣味であったり、ワーカーホリックと呼ばれる状態であったり、狂おしいほど愛する存在であったり、ラブライブ!であったりする。

    中毒状態になれば、少なくともその間と、それが欠乏して不安になっている間は、生きづらさを感じる事が無くなるだろう。


    取り留めもなく書いて来たが、あくまで個人的なまとめてあって、どれも読者に推奨しているわけではない。20歳の大学生男子、30歳の仕事で頭打ちを感じるサラリーマン。35歳の結婚の2文字に取り憑かれる女子。40代半ばにして中年の危機、人生の秋を迎えた諸兄。それぞれのフェーズにそれぞれの、これより幾分マシな取り組み方があるかもしれない。

    そういえば、ブレードランナーの元ともなった「アンドロイドは電気羊の夢を見るか?」という古いSF小説には「情調(ムード)オルガンという機械がある。ダイヤルを回すだけで本人の感情がハッピーになったり、暗鬱となったりするスグレモノだ。我々の世界にムードオルガンが完成するまでは、とにかくこういった原始的な方法を試してみるしかないだろう。

    アンドロイドは電気羊の夢を見るか? (ハヤカワ文庫 SF (229))

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    生きづらさを感じ、何も糸口が見えない読者の参考になれば幸いである。

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