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年収150万でオンラインゲームの世界に生きていく

エンタメ エンタメ-ゲーム

私はプロフィールにも書いてある通り、趣味がTVゲームだ。ファミコン世代というキャッチーなキーワードが最近ネットを賑わしたが、そういう枠の1人だ。

で、私はオンラインゲームを人生の中心に据えて、生きていく事は決し悪くない選択肢だと常々思っている。それに対して持論を展開していこうと思う。

デジタルネイティブ世代に人生はクソゲーだと気づかれている

私は、30代半ばなので就職氷河期とかロストジェネレーション世代と言われる世代だ。ネットがまだ出始めではあったが青春はコンピューターにどっぷりだったので、少し下の世代の気持ちが分かる気がするし、分かりたいと思っている。

ともかく、私の世代より下、今の20代から30代前半の人たちは、すでに気づいている。親や周囲が諭したのとは裏腹に、このまま頑張っても、頑張り続けても得るものが自分の延長線上にほとんど無い事に。もしくは大人たちが価値とする日本の社会的なものに、自分が価値を感じられない事に。

また、まだ社会に出ていない学生たちも、自分たちが学んでいる事と、現実のサバイブ能力にそれほど相関が高く無い事に気づいている。良い学校を出れば、人生が幸せで敷き詰められると、親の世代から言い聞かされてきたにもかかわらず。また、学校を出ればサバイブしなければいけないと教わらなかった若者達が、社会へ押し出される事を目前にして右往左往している場面に、ネット上で私は良く出くわす。

良く知られている事だが、物質主義に関しては経済が発展し、その国の成長率が落ちるに従って、勢いが弱まってくる。一種の「はしか」のようなものだ。日本の価値観は、多くの部分アメリカを始めとした西欧の先進国の後追いをしているので、90年代までのアメリカと今のアメリカ市民トレンドを比較すれば、日本の今後の価値観がある程度予測できる。00年代から米国では「ワーク・ライフバランス」が叫ばれてきた。これは米国内の格差の拡大とも連動していたように個人的には思う。30年、20年、15年と日を追うごとに価値観の差は縮小しているがまだこの法則は有効だ。

ともかく、日本の若者はデジタルと共に育ち、情報を親の世代より簡単に確実に取り込んでいるため、気づいている。親は、ひどく頭が悪いか、時代のせいで根本的に間違っていると。この先の自分の人生は、少しの喜びと多くの苦痛で満たされている事を。もう少し聡い早熟な若者は、その少しの喜びすら、労働で失った自己の回復でしか無いことに気づいている。

実際に、ネットを生活の中心に据えれば、衣食住は最低限に抑えられて、大変経済的だ。

人生の目的はオンラインゲーム+150万で達成できる

人生の目的はオンラインゲーム+年収150万で達成できる。150万はいくらでも良い。とにかく自分の生命とインターネットを維持する年収だ。

人生の目的は、金を稼ぐことじゃ無い。それはさすがに議論しなくても良い世論だと思われるので、ここは教科書にも載っている「マズローの欲求段階説」をベースに話をしようと思う。広範囲で「人生の意味」を問い出すとこの議論が成立しないので、そのあたりは許して欲しい。

  1. 自己実現の欲求
  2. 承認(尊重)の欲求
  3. 社会欲求と愛の欲求
  4. 安全の欲求
  5. 生理的欲求

下位の2つについては、議論の余地はないだろう。衣食住足りて、家にいるわけだから。

性欲が5位の欲求に含まれるとするならば、ネット上であらかた方が付くのは諸兄においてはご存知だと思うし、今後そのようなものの品質が低下する事は、政治に起因すること以外考えられない。

3位の「社会欲求と愛の欲求」に関しては、むしろオンラインゲーム上のほうが、現実世界より満たす事ができる。なぜなら、要求されている社会的な事情はゲーム上では明らかだし、愛も他のプレイヤーが参加しているからには満たすことができる。

そうやって「オンラインゲーム(仮想現実)を考えれば2位、1位の欲求も現実よりオンラインゲームのほうが満たしやすい事が理解いただけると思う。

現実世界では子供を養う事も難しい。

人間の脳は、仮想世界と現実世界を大して区別しない。区別しているのは社会の常識という周囲に蔓延しているフィルターで、それに感化されているだけだ。

となれば、独身で年収を150万得て生活を確保し、残りの全ての時間をオンラインゲームにつぎ込む事。現実と仮想現実の主従を逆転させることが、最高の人生の秘訣なのかもしれない。

The Matrixのサイファーの選択は、本当に間違っているのか


The Matrix (1999) - © Warner Bros

マトリックス スペシャル・バリューパック (3枚組)(初回限定生産) [Blu-ray]

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この話題に付き合っている人は、映画The Matrixは見たことあると思う。

その中に「サイファー」というキャラクターが登場する。世界の真実に気づき、Matrixの監視から抜けだした、主人公ネオの一味で、その後、裏切り者が「サイファー」だ。彼はネオや、リーダーのモーフィアスを裏切り、マトリックスの監視プログラムに彼らを売り渡す男だ。キリスト教の世界観で言えばイスカリオテのユダだ。

報酬は「仮想世界での安住」

プラグを抜かれ仮想世界から引き離され、みじめに死ぬしか無い現実世界より、美味いものと快適な生活をサイファーは望んだ。

結局のところ、サイファーは殺されてしまうのだが、果たして本当にサイファーは間違っているのか。

主人公ネオがデジタル、2進数の正、1だとしたら、サイファーは負。0という意味だ。勧善懲悪のストーリーで、死すべくして死んでいくサイファーだが、本当に間違っているのか。

私にはどちらが正解なのか、簡単には答えは出せないと思う。前述のマズローの欲求段階説でいえば、サイファーの選択は必ずしも間違っていない。それ以外の個々の人生の目的、欲求で考えても、求道者の人生以外では、ネオよりサイファーの選択が正しいのではないか。

ネットが現実を侵食し続ける未来

ネットは今後現実を侵食し続ける。もうすこし柔らかい言い方をすれば「ネットの影響力が高まる」だ。

2013年、評価経済社会という言葉が話題になった。「お金」じゃなく「今までやった善行が情報社会によってその人に還元される」みたいな理論だ。

個人的には、流行りの岡田 斗司夫氏(オタキング)

僕たちは就職しなくてもいいのかもしれない (PHP新書)

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評価経済社会 ぼくらは世界の変わり目に立ち会っている

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より、現Smartnews代表、鈴木氏の評価型通貨(PICSY)を思い出す。書籍もあるが、門外漢には読めたものじゃないし、私も専門家じゃないので嫌々読んだので公式サイトのリンクだけにしておく。

評価経済の話は岡田氏の本を勧めるが、繰り返すに、ここから先「金じゃなく感謝された総量で見返りがある」みたいな理論。

ともかく、物質主義が万能で無くなった事に後を追って、資本主義も万能ではなくなりつつある。ここから先の時代は、物質や資本が今までより、低くみられる。もしくは、再分配される。きっと資本主義と心中するつもりの人間は、心中した後も「物質以外の価値」を知覚できない事だろうが、今生まれつつある。それは、ネットを中心に生まれて来ている。だから私もこうやってブログをシコシコ書いて、資本主義的価値以外の何か、を保険として手に入れようとしているのかもしれない。

また、ネットの影響力は、日本人が思っているより大きい。特に政治や民主主義の形を変えた「デモ」と結びつけば

が記憶を想起できる。ネットを増幅装置として、民主主義は政府や資本主義に、対抗しうる「暴力」になりつつある。それは若者が中心だ。

日本の若者に目を戻せば、今やニュースといえばマスメディアを差し置いて、Smartnews/Gnousyのアプリがどんどん主流になった。図書館で日がな新聞に目を通す老人に、冷ややかな目線が向けられるようになった。日々、ネットは物理世界を置き換えている。

もう少しファンタジーな話をして良ければ、googleGlass、電脳コイルの拡張現実、マイノリティ・リポート拡張社会、攻殻機動隊の電脳世界がある。バック・トゥ・ザ・フューチャー2は、最近また話題になった。バック・トゥ・ザ・フューチャー2で表現されのが2015年だったからだ。作中で表現された技術は、かなりの数が現実になった。

SF世界はそれほど遠い未来ではない。

SoA・ログ・ホライズン・なろう!文脈

国内に目を戻す。近年、若者を中心としてSAO(ソードアート・オンライン)ログ・ホライズンなどの小説作品が人気だ。

ソードアート・オンライン プログレッシブ1<ソードアート・オンライン プログレッシブ> (電撃コミックスNEXT)

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ログ・ホライズン (1)<ログ・ホライズン> (ファミ通クリアコミックス)

ログ・ホライズン (1)<ログ・ホライズン> (ファミ通クリアコミックス)

共通項は

「現実の人間がオンラインゲームに取り込まれ、オンラインゲーム内で人生を生きる」

ソードアート・オンライン
TVアニメ ソードアート・オンライン(2012) - ©SAO Project

2014年には、ログ・ホライズンを生み出した小説サイト小説家になろうが話題となった。

小説家になろう、の文脈はかわんご( id:kawango )氏も絶賛する、ねとぽよのスケルトンになっても人は飢える~「小説家になろう」のドライな世界にせまる~の記事を参照いただきたい。要するに「オンラインゲームのほうが人生の欲望を満たせる」という話だ。

若者(の一部)は、その作品がフィクションだとしても、オンラインゲームの世界に生きる事に強い引力を感じている。

ゲームの世界は、プレイヤーが生きやすいようデザインされている。しかも日々改善が続いている。神が7日間で適当に作った後放置されているこの世とはわけが違う。

人生を「マズローの欲求段階説」だろうが、トランスパーソナル心理だろうが、とにかく心理学上の満たされた状況というものを目指せば、オンラインゲームに比重を置くことが正になりつつある。年寄りから既得権益が剥がされる未来は想像し難く、自分たちの世代を見れば、今後の資本主義的な見返りも低いし、その価値も自分で感じ辛い。地球ばくはつしそうにもない。育ててくれたことに感謝はしているが、親たちは、社会で上手くやっていく、まともなやり方を教えてくれなかった。結局のところ、ネットゲーのほうが上手く、生きやすく、よっぽどユートピアじゃないか。現実はクソゲーだ。FUCK!!

オンラインのほうが、親が教えてくれた勉強と同じ方法で攻略できるし、現実のような「これ以下は人間にあらず」のようなフレーミングもないし、不正はそのうち正されるし、努力すれば結果が出る。

お前たち親が作った「上手く生きる生き方」を何故否認するんだ?

オンラインゲームの進化と現実の差異

ぶっちゃけここから、私がどれだけオンラインゲーマーだったか、という話だ。

当然のように15年ほど前、今30代なかで、その頃10代から20代の境にある私は、Ultima Onlineをプレイしていた。こんなエントリーが生まれたのはUltima Onlineの作者Lord Britishことリチャード・ギャリオットに非あると言っても過言ではない。

Ultima Online
Ultima Online(1997) - ©Electronic Arts

私はなんとか海外からパッケージを取り寄せ、Sonomaという北米人しかいないサーバーで仮想現実を生きていた。有名なこのゲームは、プレイヤーが他のプレイヤーを簡単に殺せる、カオスなゲームだった。その反面、農耕があり、狩猟があり「別の世界で生きる」を体現していた。当時の世界観を垣間見るために、4Gamerとかわんご氏の記事があるのでそちらを参照いただきたい。

実は、私はそれまでにも1度だけ「バーチャル世界で生きる」を体感した事がある。

インターネットがまだ日本で生まれる前、パソコン通信しか日本になかった時代、富士通のNifty Serve「富士通Habitat」だ。

富士通Habitat
富士通Habitat(1990) - ©富士通

これは、今で言うアメーバピグだと思えばいい。キャラクターがいて、チャットする。それだけだ。だが、インターネットすら日本になかった時代。仮想空間、ビジュアルチャットという発想は衝撃的だった。私が「デジタル」を発見した次、2番めの大きな衝撃だった。

それは1990年だった。1990年に、すでに日本のネットに仮想世界は存在しており、それは私の純粋な魂を強く引きつけた。

その後、私はEverQuestなどもプレイした。少しゲーム路線だったので私には合わなく、数ヶ月でやめてしまった。国産のFinal Fantasy11もその時代に生まれたゲームで、私はその頃少しずつ仕事が忙しくなり(パーティを組む時間でプレイ時間が無くなってしまい)少しのプレイ期間で終わってしまったが。Final Fantasy11は今や、サービス開始から今年で15年で、未だサービスとアップデートを継続している。

Final Fantasy 11(2002) - ©SQUARE ENIX

その後、Anarcy Online, Star Wars Galaxiesなどをプレイした。どちらも戦いより「仮想世界を生きる」に着目した作品だ。

Star Wars Galaxies
Star Wars Galaxies(2003) - ©Sony Online Entertainment

Star Wars Galaxiesは採算を理由にサービスを終了している。Master of Epicという国産ゲームも、仕事の合間になんとか時間をプレイした事を思いだす。まだ継続中の素晴らしい仮想空間だ。

ネットで有名なコピペとして、ファイナルファンタジー11 カズヤ氏の「FFオンラインは遊びじゃない」発言がある。

ネットゲー上でレアアイテムを獲得する事に大して:

133 名前:カズヤ ◆1Np/JJBAYQ [] 投稿日:2009/06/25(木) 21:28:40id:k6xdjhx8Q
マジレスするとHNMLS(*ゲーム内プレイヤーチームの意味)なんてのは遊びじゃないんだよ
仕事と同じやる気ない奴はイランし仕事だから平均12時間はインしてもらわないと駄目だ
あんたらはネタのつもりかもしれんが俺らは本気
突き詰めると命かけてんだよ
その辺はリアルと同じ会社員7年やってればそれなりのこだわりができるだろ
それと同じ俺らは7年考えぶっ通しでやってんだ
外野がごちゃごちゃ抜かすなよ

この文章を脊髄反射で「アホだ」とする人は、自分がいかに日本的価値観に塗り潰されているか考えるべきだ。お前の人生は資本主義に塗り潰されている。現実というゲームのほうが参加者が多く評価する人間が多いだけだ。

なぜFF11の世界より現実のほうが優れているといえるのか? 彼らの結果や価値観を罵倒できるほど、お前は、自分の世界で何かを得たのか?

……

その後、オンラインゲームはどんどん進化していく。私は仕事で責任が増え(たと思い)、会社を回すべく仕事をしていた。私は人生の選択にほとんど後悔をしたことは無いが、唯一、World of Warcraftリリース初期にプレイできなかった事だけは、悔やんでいる。

2003年からサービスを継続しているSF MMO EVE ONLINEというのがある。私も少しプレイしたが先行プレイヤーが先行しすぎていて、また国内プレイヤーが少数で、勝ち目がなさそうだった「現実と同じ無理ゲー」と同様の肌感覚だったため、深くプレイしないまま離れてしまったが、この作品は、今のところ現実に迫る社会と経済を仮想空間内に構築している。2012-2014年だけでも以下の、EVAプレイヤー以外にも聞くに値するニュースがあった。

MMORPG「EVE Online」の21時間にも渡った大規模戦争で3000万円超の損害

リビアの米領事館襲撃で『EVE Online』の有名プレイヤーが他界

彼らは、オンラインに生きている。時としてリアルの役職をオンラインの役割が凌駕する事がある。今や、リアルに付随するオンラインゲームからから、リアルと同等のオンラインゲームに移行しつつのだ。

私はといえば、その後会社からも開放され、Final Fantasy14Elder Scrolls Onlineを経て、今はドラゴンクエスト10とブログ書き半々のような生活をしている。

リアルがクソな事による他の派生系

とにかく、リアルが一番、マズロー的価値観において、時間や金をかけても見返りが得られる可能性が低いというわけだ。

繰り返すが、リアルというのは「今までの、高度経済成長的な日本の価値観においてのリアル」だ。だから、オンラインゲーム以外にも、他の、日本的なフレームの外を追い求める人がいる。

というわけで「リアルがクソだ」と思ったオンラインゲーム以外に答えを求める人たちのいくつかの事例を上げていく。

ブロガー・ユーチューバー

いち早く、資本主義的価値に見切りをつけた人々かもしれないし、また、まだ強く未練を持っている人かも知れない。彼らはまだ金銭的に苦しい立場かもしれない。しかし、苦虫を噛み潰して生きる、眠っている間も眉間にシワが寄っているサラリーマンたちよりは、随分人生が成功していると思う。フリーランスのほうが歴史が古いが、同様に扱わせてもらえば、彼らは、人生に多少のアクシデントがありつつも、日本に満ち溢れる無知な羊たちよりも、人生を楽しくやっている。大成功だ。

人生の成功は、他人のものさしではなく、自分のものさしで測られる。

2次元主義・趣味至上主義

私は萌え派でないので、詳しく無いが、2次元至上主義は00年代から一定母数が社会的影響力を持つものとして確認されている。彼らのほうが、現実に見切りを付けた人々の先駆けだと言っていいかもしれない。

彼らも頭が先に働く人々なので、社会の嘘を見抜き、インテリぶっている大人たちを視界の外で殺し、自分の人生を獲得した。

ミニマリスト・シンプルライフ

ミニマリスト・シンプルライフというカテゴリも2010年代から始まったように思う。「家・車・女(男)」みたいな資本主義的な物質的な価値ではなく、日々を楽しもう、という考え方だ。

ヒッピー文化に思想は似ていそうだが、ミニマリストは現在の日本的な価値観の中で「必要無いものにNOを言う」ところにとどまるタイプが1つ。一例として服はユニクロ、デートはイオン、ご飯は吉野家。詳しくない人にはマイルドヤンキーと違いがわからないかもしれない。ポイントは大衆向けにデザインされた消費に対して好意的か消極的かという点だ。彼らは、現代社会を一定受容する価値観なので、特別視もされれない。

もう1つの方向性は、究極に荷物を減らし、バックパッカーに近くなる人々。この辺りの分類は本題でないので割愛する。

帰農・田舎暮らし

昔から一定数いたが、若者が帰農を選択するというのが最近の傾向かと思う。彼らも資本主義に反対しているわけではないが、少なくとも「東京で消耗しても先がない」と考えている。

ここまで見てきたように、聡い人たちは、クソみたいな日本的価値観に付き合う事はやめて、自分自信で納得できる人生を選びだした。その中のアクティブな一派は、日本的な、親から教えられた、高度経済成長期しか有効でなかった攻略法を信じる同世代の奴らに「アホだ」と言い始めている。それが、現在のネット論壇のような気がしてならない。

実際年収150万円で生きていけるのか

生きていける。そこそこ楽しい。

私は地方政令都市で生活しているが、若い時代数年間月収12万円で光ファイバー回線を維持しつつ普通に生活していた。私は人生の楽しみを「メディアを楽しみつくす」としていた時期がある。それでも、月収12万で十分目標が達成できた。その後、稼ぎが増えても大きな意味はなかった。

オンラインゲームの世界は、プレイヤーが生きていく費用と回線・光熱費。年収150万円あれば余裕で生活が出来る。

非正規雇用者に社会保障が、失業がどうこう言う人がいるが、150万で生活できることこそ強力なセーフティネットだ。

日本の金持ちも金の意味を見失っている

私は、資産家の息子、一時代で資産を築いた人を何人か知っているが、彼らは結局のところ、残りの余生をゲームに費やす。ポーカー(ホールデム)、BJを始めとしたカジノ、オンラインゲーム、対戦ゲーム。将棋・囲碁・麻雀、サーキット、ロードレースなんてのもいた。結局のところ、金を稼いでも、今の時代、その先に何も無い。

アメリカだったらまだマシだったかもしれない。名誉が金で買える。彼らは歴史が無いから、名誉と金がイコールなところがある。大学、病院。図書館。地区名やら通りの名前。そういったものを寄付によって習得する文化がある。米国では日本の権威や、一種の高貴さを、金で買える。別にそれが醜悪だと言っているわけではなく、使い道があるだけマシだという話だ。

また、米国では社会保障やセキュリティも金で買える。これは大いに金を稼ぐ理由になりうる。

ひろゆきは、2chをつくってしばらくして金持ちになったそうだ。リンクにあるとおり、彼は金持ち、資本主義の結果を「幸せにはなれない。メリットは資本主義に反する事を言っても貧乏人の僻みと言われないだけ」と切って捨てている。

現代日本社会で、資本主義を突き詰めて金を手に入れても結局「あんまり意味ない」勿論、多少の余裕は出来るんだが、全ての社会人が人生をかけて成し遂げるほどの事でもない。

結論として

結論としてこの記事で何が言いたいかというと、オンラインや2次元、その他資本主義以外の価値を正しく見出した人たちは、自分の価値観を信じて生きるべきだということだ。絶対。

ネットゲーに生きると決めた人も、その選択は正しい。そのゲームが終わっても続くよう、クランを確固たるものとすべきだ。

勿論、戦うサラリーマンが皆な間違いだとは言わない。エリートとなり、リアルというゲームをスマートに生きる人もいる。ただ、あなたと同じくじ引きをしてハズレを引いた人々が、ハズレの椅子に座り続けるのがスマート選択だとは、私は思わない。

資本主義的な価値、とくに資本主義と日本の高度経済成長が入り混じったもの。親の世代から受け継いだ価値観が、今も続いているかのような幻想の上で人生を築こうとしている人は、今後多くが失敗する。自分にとっての幸せはなにか?

今からでも遅くないから、自分自身で考えるべきだ。

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